12月13日はビタミンの日!100年以上前に世界で初めて発見したのは日本人だった!?

今では当たり前に皆が知っているビタミン。
しかし、ビタミンが発見されたのは1911年とまだ約100年しか経っておらず、まだ新しい概念です。

ビタミンの歴史は1911年に東京帝国大学(現在の東京大学)農学部の鈴木梅太郎博士ビタミンB1を発見した事から始まります。

写真:鈴木梅太郎博士写真:鈴木梅太郎博士

ビタミンの発見は当時どのような影響を与えたのでしょうか。その詳細に迫ります!

ビタミン発見への道のり

きっかけはあの日本人の主食から

日本に稲が中国から伝わったのは縄文時代末期と言われています。
当初日本人は玄米を食べていました。
しだいに都市では精米をして食べるようになりましたが、それに伴い脚気が広がってしまいました。

脚気とは、疲れやすい、食欲不振、倦怠感などの症状から始まり、次に主に神経と心臓に関連した症状が出現する病気です。
脚気患者が田舎に移り住み、玄米を食べると治るので当時は江戸患い、都患いと呼ばれていたそうです。

そこで鈴木梅太郎氏は脚気の治療・予防に玄米食が鍵であると着目します。

オリザニン(ビタミンB1)の発見

1910年、鈴木梅太郎氏はついに米ぬかから脚気に効果的な物質、アベリ酸を世界で初めて分離に成功しました。
1912年にオリザニンと改名しましたが、これが後のビタミンB1です。

こうして5大栄養素のうちの1つであるビタミンが発見されました。
現在までに13種類が知られていますが、ビタミンB1はその第1号となったのです。

ビタミンの発見はノーベル賞級の出来事だった

ビタミン発見に至る経緯についてお話しましたが、日本人の主食であったお米が世界共通のビタミン発見のきっかけだったとは驚きですよね。

世界で初めてビタミンを発見した鈴木梅太郎氏は当時ノーベル賞の候補とまでなりました。
それほどビタミンの発見は革命的なことだったのでしょう。

では、ビタミンの発見は具体的に日本、そして世界にどのような影響を与えたのでしょうか。

脚気の治療・予防の方法となった

明治初期には脚気は重大な疾患であり、国民病となりつつありました。
1877年の西南戦争では政府軍に多数の脚気患者が発生し、また明治天皇はじめ多くの要人が脚気を患ったことから、脚気の治療・予防は当時日本の急務でした。

当時、脚気の原因を伝染病だと考える学者、そして何かの栄養素が不足していることだと考える学者の2つに分かれていました。
しかし、鈴木梅太郎氏が米ぬかからビタミンB1を分離することに成功したことで、脚気に有効なビタミンB1がたくさん含まれている玄米から精米した白米へ食生活が変化したため、日本でビタミンB1が不足してしまう人が増加したことが脚気の原因だとわかったのです。

つまり、今まで不明だった脚気の原因はビタミンB1欠乏症であると結論付いたのです。

脚気の原因が判明し、ビタミンB1が脚気の治療・予防に使われるようになったことで世界の脚気患者を減少させることが出来ました。

5大栄養素説の証明

今ではたんぱく質糖質脂質、ミネラル、ビタミンの5大栄養素が当たり前のように提唱されています。
しかし、当時はこれからビタミンを抜いた4大栄養素とされていたことはあまり知られていません。

鈴木梅太郎氏はこの4大栄養素とする学説の欠陥を見抜き、自らが発見したオリザニンこそがこの学説の穴を埋めるものだということを、物的証拠をもって実証したのです。
こうして5大栄養素の概念が新たに生まれました。

つまり、ビタミンB1は脚気の治療・予防に有効なだけでなく、私たち人間を含めたあらゆる生命を支える重要な栄養素の1つであったということが鈴木梅太郎氏の研究によって判明したのです。

幻となった鈴木梅太郎氏のノーベル賞受賞

しかし、なぜオリザニンは現在ビタミンと呼ばれているのでしょうか。
オリザニンは後に、ポーランド人科学者のフンク氏が発見した「ビタミンB1」と同じ物質であることが判明しました。
国際学会への発表はフンク氏のほうが早く、ビタミンという総称が採用されてしまったため、鈴木梅太郎氏のオリザニンが後世に名を残すことは叶いませんでした。

写真:フンク氏写真:フンク氏

当時、鈴木梅太郎氏はノーベル賞の候補として推薦されていました。
しかし1929年、ノーベル生理学医学賞は鈴木梅太郎氏ではなく、米ぬかの成分が白米中の脚気毒素を打ち消すと世界で初めて考えたオランダのエイクマン氏と、動物には主要栄養素のほかに、副栄養素が必要だという説を唱えたイギリスのホプキンズ氏に与えられました。

日本人初のノーベル賞受賞者は1949年に受賞した物理学者の湯川秀樹氏であることは有名な話です。
この時、もし鈴木梅太郎氏が受賞していたら日本人初のノーベル賞受賞者となっていましたが、こうして鈴木梅太郎氏のノーベル賞受賞は幻となってしまいました。

写真左:エイクマン氏、右:ホプキンス氏写真左:エイクマン氏、右:ホプキンス氏

12月13日はビタミンの日

ビタミンの名称とノーベル賞に関して、鈴木梅太郎氏が選ばれなかったことは日本人としては少し残念に思う向きもあったことでしょう。
そこで、鈴木梅太郎氏の功績を広く知らせて、ビタミンの知識の普及に貢献する情報発信活動を行っていくことを目指す動きが現れます。

オリザニンと命名したことを鈴木梅太郎氏が東京化学会で発表したのは12月13日
2000年にビタミンの日制定委員会がこの日をビタミンの日としたのでした。

ちなみにビタミンという名前についてですが、ビタミンB1アミンというアンモニアで出来た化合物であったため、発見したフンク氏が「生命活動に必要なアミン」という意味から、ラテン語で「生命」(Vita)「アミン」(Amine)とをくっつけて、Vitamineと名づけたことが由来とされています。

まとめ

鈴木梅太郎氏がビタミンB1を発見したことは当時日本で問題であった脚気の解決だけでなく、五大栄養素説の発見へ導きました。
これは世界のビタミン研究にとても大きな功績を残しただけでなく、世間の栄養に対する認識に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。

12月13日には、そのような偉大な研究者がかつて日本にいたことで、今日の私たちの健康が支えられていることに思いを馳せてみるのも良いかもしれませんね。

参考文献

1)日本化学会「ビタミンB1発見・鈴木梅太郎が残したもの」, http://www.chemistry.or.jp/know/doc/isan013_article.pdf (2018年12月6日最終アクセス)
2)メディカルノート「脚気」,https://medicalnote.jp/diseases/%E8%84%9A%E6%B0%97 (2018年12月10日最終アクセス)
3)東京大学大学院農学生命科学研究科「鈴木梅太郎のビタミンB1発見」, http://www.bt.a.u-tokyo.ac.jp/senjin/vol1/ (2018年12月3日最終アクセス)
4)松田誠:脚気病原因の研究史ービタミン欠乏症が発見、認定されるまでー.東京慈恵医科大学誌,121(3),141-57,2006.
5)左右田健次:日本のビタミン研究の流れ.化学と生物,50(9),684-687,2012.
6)中村重信:脚気の臨床試験、過去から学ぶこと.Vitamine(Japan),87(11),621-628,2013.
7)総務省統計局「12月13日ビタミンの日」, https://www.stat.go.jp/naruhodo/c3d1213.html (2018年12月11日最終アクセス)
8)日本ビタミン学会編:ビタミン総合事典.朝倉書店,2003.